時差ボケ 眠れん
2007年 01月 30日
ところが年を取ったせいか、時差ボケが1日遅れてやってきた、朝の4時でもちっとも眠くない
体はまだイギリスにいるようだイギリスだと今夕方7時くらいか、ほんと眠くない仕方がないので気合いで今日1日起きていて夜子供と一緒に早く寝てしまうしかなさそうだ。
(これはイギリスの帝国博物館にあるヤークトパンターの転輪のアップ)
でそんなこんなで今回の博物館巡りで昔のことを思い出したので書いてみたいと思う。
子供の頃から戦車、戦艦、飛行機とプラモデルを作りまくったが なけなしの小遣いで買うプラモデルは特に部品点数の多い戦艦と戦車を買うことが多かった(ヒコーキは一瞬で組み上がるので当時は買わずペパークラフトで製作していた)色塗りは豆ラッカー買う金がなくて、無理矢理桜絵の具を薄めず塗りつけていた。私にとってこれら戦争兵器ははプラモデルか図鑑の写真でしか見たことが無く、現存する兵器でもSF感覚というか絵空事の様にタダかっこよく軽く見ていて恐ろしく現実からかけ離れた特別なものとして感じていた。それが変わったのは今から12年ほど前にアメリカのワシントンから少し離れたアバディーンの戦車置き場に物見遊山に行ったときのことだ、今までプラモでしか触ったことのない憧れの戦車に乗りこんだり
これは4号戦車の砲塔ガードに空いていた銃弾跡 おー怖っ
でいま朝の6時前でおそろしく眠くなって来たんですけど、今寝たら駄目だあ
としちゃんは昔からいろいろなとこに見学に行ってるんですね。羨ましい!
通り一遍の博物館レポートとは違う視点の、素敵な写真をたくさん見せて頂いて幸せでした。
前大戦の兵器の部品のメーカーに気が付くなんてとしちゃんの鋭い見え方の秘密を教えてもらえたようで楽しかったです。
僕も博物館や博覧会で何度か大戦の実機を見てたり手に触れたりして、機体表面の意外なほどの仕上げの粗さやジュラルミンのシワを見て「へえ、これが実機というものか」と感心はしたのですが、それが実際に空を飛んでいたものとはどうしても感じられない妙な違和感を覚えていました。
ところが博物館から一歩出て、博物館の庭に野ざらしで置かれている練習機のメンターなんかを見ると、まさしく本物の飛行機を見たというライブな感じがビシビシとくるのです。
なら野ざらしなら実機感があるのかと思うと、船の博物館に展示されていた2式大艇は何度みても本物そっくりに作られた子供用の遊具のように見えて仕方ありませんでした。
すみません続きます。
それが今回のとしちゃんの「兵器に隠れたブランドの発見」という記事を読ませて頂いたお陰で、一見生命を失ったように見える「物」のどんな所に未だ死にきらない存在凄みを見い出すのか、その方法を教えられました。
僕がこれまでの経験の中で最もライブに前の戦争を感じた残骸は、大阪と和歌山の境の海上に浮かぶ友ケ島の海上砲台の遺構群でした。今では崩落の危険があって遺構全てが立ち入り禁止になっているようなのですが、以前に地下の通路を通ってペトンで固められた砲台に出た途端、砲は撤去されて跡形もないのに関わらず、その場所の空気が戦時そのままのように緊迫していて、震えるような思いに駆られた覚えがあります。
そしてそのすぐ近くに丸い屋根を半分地中に埋めたトーチカの悲しくなるほどに薄い鉄板の厚み。
すみませんすみませんまだ続きます。
すみません、だらだら長くなってしまいました。
としちゃん。
ロンドンの博物館にはまだ全然死んでない、すごい飛行機はありましたか?
そうですね、たしかに綺麗にペイントされてオイルが抜かれたマシンは魂の抜けた物に感じやすいです、どちらかというと朽ちた状態のほうが物の凄みや年月を感じやすいですね。ただ綺麗にペイントしているはずの機体のどこかにマスキング漏れがあったりちょっとした手直しの手塗りの跡が見つけられると、そこに人の関わりが感じられる事があります。
思うに私の妄想屋的見方にすぎませんが、綺麗にマシン加工された部分より、その綺麗に整形された工業部分を人の手でつないだ事が身近に感じられる場所に、人が関わった手がかりを認め。その飛行機が人の手によって生まれ飛んでいた部分を感じます。続く