遠い水辺
2009年 06月 24日
今無性にラジコンの戦艦を建造したくなってきているのは、
このじめじめ季節を抜けた時に待っているであろうと思われる
夏への期待。
窓から見える景色で雨がザンザカ降っていようと、
これだけ梅雨らしく雨が降るのだから、
さぞ夏は夏らしい夏であろうという勝手な期待が膨らみ、
すでに頭の中には
真っ青な空にギラギラとそびえ立つ真っ白い入道雲の予観が見えるわけで、
その下で遊ぶアイテムとして水に浮かぶ操縦できる何かが欲しくなり、
飛行機研究所としては当然飛行艇または水上機となるはずだが、
今素直に何が作りたいかと聞かれると、
戦艦 となぜかなってしまう。
なぜか?
話は大昔 中学時代にさかのぼるが、休み時間にある会話が聞こえてきた、
「今年の花火はどんくらい持ってく」
「やっぱロケット花火 山とでしょ」
「戦艦はどれ もってこーかなー」
「じゃあ 自爆させる爆弾は俺が作る」
ロケット花火? 戦艦? 自爆? なんだとーーーーーー
なんて面白そう♪ 俺もやりたいぞ それ 混ぜてー
普段ほとんど話したことはなかったグループだったが、その話に無理矢理割り込んだ
「なに なに?」「俺もそれやりたい、お願い連れてって」
普段ほとんど交流が無いだけに、最初その話をしていた連中は急に口をつぐんだが
構わず話し続ける俺
「戦艦何持ってくの?」
最初みな渋い顔をして警戒していたが、食い下がる俺にやや面識のある一人が
「おれは空母だよ 赤城と飛龍」
「それ 何分の1?」
「1/400」
「すげー そんなでかいの2隻も持ってるんだ」
「おれはニチモの翔鶴と最上と大和」
「おれは1/200の秋月とイ号潜水艦」
「火薬は去年の花火ばらしたのをマメラッカーの缶に貯めてあるんだ」
「おいっ それ言うなよ」
「俺も爆竹ばらしたの瓶に貯めてあるから、それ足そうよ」
「ドッカーンと轟沈できるかも」
普段連合艦隊プラモや花火をばらす話題なんて学校ではまるでしたことがなかっただけに
とても嬉しくてそのグループに無理矢理混じって、
彼らの河原での大演習に初参加することになった。
(彼らは小学校からのグループで小学6年から毎年その演習をやっていたらしい。)
ちなみにトップの画像は私が初参加したときの貴重な写真で
わずか4隻ではあるが勇壮なる連合艦隊出撃のつもりの図である(笑)
このあと、この連合艦隊にはロケット花火による度重なる波状攻撃が待っており
さらには艦橋付近に載せられた爆竹が誘爆するという過酷な運命が待ちうけているが、
もっとも過酷な運命にさらされたのは奥にうつっている1/200秋月の艇体で
この中には手作り爆弾やら、溜め込んだあらゆる種類の花火が満載されていた。
で今日の演習のフィナーレとして秋月を十分沖合に出してから、
ロケット花火で着火して爆発炎上轟沈をみな夢見ていたわけだが、
実際には打ち上げ花火やロケット花火でいくら当てても着火せず
結局お尻まで水につかりながら結局導火線にマッチでこわごわ火をつけることになった。
着火後の大爆発に備えて、あわてて半分泳ぐような形で逃げてはみたものの、
結局爆発にはいたらず手作りの爆弾はドラゴン花火のようにシューシューと綺麗な火を吹くばかりだった。
それでもしこたま積んだ花火につぎつぎ火がついて、はでに艦が燃えさかる様子は圧巻で
さらにタイミング良く水辺に隠れていたらしい大きな蛇が驚いて河を泳いで逃げた。
艦からはぜる花火で興奮している我々にとって、
動く標的が蛇行しながら川を横切っていくを黙って見ているはずがない
当然あえなく大量の石つぶて爆弾に沈められてしまった。(合掌)
こうして中学生最後の演習は盛り上がりに盛り上がり無事終わった。
このときの様子は何枚か写真に収めたはずだが、
残念なことになぜか上の写真しか残っていない、
さらに残念なことに、その時集まった友達も写ってはいない・・・
その翌年は高校生になりみんなバラバラに進学して、
その時の仲間が今どうしているかはまるでわからない、
でももしかしたら大人になっても戦艦のプラモを水に浮かべて遊んでいるかもしれない。
そのとき中学生最後の夏の大演習を思い出しているかも、
しれないと思うと。
ここはひとつ来るべき夏らしい夏に向けて、
ラジコンの戦艦を造って見たくなるのが人情という物では無いだろうか
と自分を納得させつつ、とりあえずベースのプラモをポチしようか悩んでいる今日この頃である。
ちなみに最後の写真は、中学の時なけなしのバイト代つぎ込んだ渾身の1/350大和 例え庭に置いてあっても、気分は東シナ海である 「10時の方向 気化三式弾 てぇーっ 」みたいな(笑) ものを妄想しつつシャッターを押していた。大馬鹿である
(花火をばらすのは大変に危険です もしこの記事を読んでも よい子は決して真似しないようにニャ)
追記
この記事を書いて急に思い出したことがる。
演習のあと夕方になりセミの声しか聞こえない
薄暗い長い上り坂の帰り道をお互い口も訊かずに、
自転車を立ちこぎしているとき荷台にくくりつけた
プラモの空き箱の中で生き残った艦が転がってカチャカチャ鳴っていた。
戦艦プラモを川に浮かべて、手作り砲で撃沈させましたね。
たいがいは、失敗作のプラモ(友人のです)を使いましたねー。
僕達の頃は「2b」といって、マッチの砥石で着火して、しばらくは黄色の煙幕が出て、爆発するのがあって、それを使って遊び倒しました。
それを、水道管(鉄)に入れて、ビー玉を爆発の圧力で飛ばし、戦艦を狙う、なんてのもやってました。これは超強力で、1/350なんて、一発撃沈粉々です。当然、近くにいる、蛇、蛙、みな餌食です。
とにかく、子供は遊びの天才です。で、結局、当局に知られ、火薬没収されるのですが。
夏の川、入道雲、サイコー!
暑い夏は思いっきり遊び倒したいモンですね。
うちらはクラッカー(ライターで点けるやつ)で鉄砲作って鳥撃ってたけど、1匹も当たったためしなしでしたが、楽しかった、
プラモはもったいなくて、轟沈はできなかったな~
でも中3くらいが一番楽しい時ですよね~
当時、ニュースでポケットの中に入れていた数十本の2bが暴発して、指がちぎれたそうです。それっきり、禁止になったわけですが。
そりゃー強力でしたよ。それを敵味方に分かれて、投げ合うのですが、黄色煙幕が出てるのを数えて、爆発寸前に投げるのです。
タイミングがバッチリだと、敵の直前で爆発!遅すぎると、投げる寸前で爆発!早すぎると、敵に投げ返され、こちらで爆発!
当然、笑いなどありません。全員引きつった顔での勝負でした。
全く、おバカでしたね。
町の子だったので、路地でバンバンやりましたが、ご近所のジージバーバから怒鳴られたことはありません。良い時代でした。
中3の夏休みは、高校進学のための補習授業期間が終わってすぐ、長野県の野辺山というところににある、とても涼しい親せきの家に1か月近く滞在して、バレーボールの部活のため遅れていた勉強を取り戻すべく、ガリベンしていました。高3の夏休みも受験勉強のため、ここで過ごしています。今からでも湖か川のほとりに住みたいなあ・・・・。